海南島
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海南島の伝統芸能 1

「人偶同演」臨高人偶戯

海南省の伝統芸能には中国で「仔戯」「木偶戯」と呼ばれる“人形劇”があります。北部地方に多く、海口地区の“三江公仔戯”や文昌地区の“文昌公仔戯”など数種類。その中でもっとも大型の人形を扱う“臨高人偶戯”は海南島北西部、臨高県を中心に澄邁県、儋州市、海口近辺などに伝わる人形劇です。

臨高民間芸能臨高人偶戯

“臨高人偶戯”は「人偶同演」であることが非常に特徴的。人形劇には糸操りのものや、手袋人形のようなものなど色々ありますが、“臨高人偶戯”は下から支え背面から操る棒人形タイプ。かなり大型で、等身大よりやや小さめ、大きな子供ほどです。遣い手は一体につき一人。下から片手でボディを支え、もう片方の手で人形の手を操り、足は人形遣い自身の足を足とし、セリフ回しも遣い手が行います。多くの人形劇では、人形遣いは観客から見えないところから人形を操る、ないし見えるところで操っても「見えないことになっている」ことが多いですが、“臨高人偶戯”の場合は、人形と共に舞台に立ち、人形を「操る」「扱う」というより、人形の役を「共に演じる」のです。遣い手の役者としての役割がとても高い人形劇で、それゆえに「木偶戯」ではなく「人偶戯」と呼ばれます。

臨高民間芸能臨高人偶戯

南宋時代に大陸から伝わった“木偶”が変化した、といわれ、元々は“厄払い”や“病避け”の意味を持つ祭礼の一種でした。人形も神仏を模ったもので“佛仔戯”と呼ばれていたようです。次第に娯楽としての人気を博し、清時代に完成度が高まります。いくつもの木偶団があり、島中のお祭りや御祝い事で催されていたようです。清・康熙帝の時代(1662-1722年)に記された“臨高県志”には記載が見られ、1979年にはその時代の人形も発見されています。文革時代には禁止されていましたが、1978年に県立木偶劇団が復活し、現在は民間劇団もあります。
中国国家級非物質文化遺産(日本の重要無形文化財にあたる)に指定され、その価値は見直されつつありますが、日本の地方芸能の多くもそうであるように深刻な後継者不足。演者だけでなく人形制作者も不足しており、継承が危ぶまれています。
臨高方言で演じられる情緒豊かな芸能。春節などの大きなお祭りで催されることがあります、チャンスがありましたら是非ご覧ください。


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